足元の幸せ。失って気付く

何の話?って野草の話。いつだってそこにあるし、いつでも摘めると思っていた。春夏秋。季節のほとんどをとても楽しく過ごしてしまった。享楽じゃない。自分なりに有意義に、大切に。

気が付くと冬。木々の葉は落ち野草は枯れた。摘み損ねた。分かっていたのに分かっていなかった。

体調を崩したときは、いつも摘んでおいた乾燥ヨモギでお茶を淹れる。のどが痛い時、咳が出る時はオオバコもブレンド。アレルギーにはドクダミ。もうぜーーーーんぶ飲み切ってしまった!オーマイガ!!

こんなにも野草に頼っていたのかと気付かされた。深く繋がっていたのに断ち切ってしまった。

こんな自分のどの口が言うんだ?という感じだけれど、野草に目を配る暮らしは小さな感動が満ちている。僕の好きな野草は雑草なんて呼ばれているものばかりだから、すぐそばで見つかる。

通勤の途中、近所の公園、川原、いつも行く里山。秘かに佇んでいたり、派手にやってたり。それなのに、どこにでもあるはずなのに、いざ探すと見付からなかったりもする。それも分かっているから出会った時はやっぱり嬉しい。

気付いていないだけで、毎日の生活の中には小さな幸せが散りばめられている。野草はそれを教えてくれる。